期 間:2018年3月28日~4月2日

《第5回「気仙三十三観音徒歩巡礼」》

 

 春の徒歩巡礼も5回を重ねた。天候にも恵まれ穏やかな日差しの中、満開の梅や椿の花を愛でながらのやわらかなお参りとなった。

 

 今年は初日27人、二日目26人、三日目17人、三日目28人、四日目19人、最終日29人、延べ計146人と大勢の参加があった。参加者対象を学生のみでなく一般に開いた第3回が延べ56人、第4回が延べ116人であったことを顧みると、少しずつ観音霊場の存在が気仙の地に染み入ってきているように感じる。ちなみに全日参加の方は6名。

 

 昨年に引き続き参加いただいた方も多く、巡礼スタートから和気藹々とした同窓会のような賑わいである。巡礼に参加するため仕事の調整をしてくれた方もいたと聞く。「心が同じ方向を向いている人ばかりが集まった会なので、穏やかな気持ちで共に歩くことができる」こんな感想をおっしゃった方もいた。「講」とはこのようにしてできていくのかもしれない。会を重ね、巡礼後も交流が生まれ、そのつながりが新たな何かを生み出していく。そんな場になればすばらしいな、と思った。結願の浄土寺では、秋の行事での再会を約してお別れした。またみなさんの笑顔と会いたい。

  

 また、昨年の春の徒歩巡礼に参加された漫画家しまたけひとさんから、徒歩巡礼をレポートした漫画が届いた。

 

【参考】Web東海新報(平成30年7月12日付7面)

巡礼記がコミックに、しまたけひとさん執筆「てくてく気仙三十三観音参り」

 

 単なる巡礼記ではなく、寺の由来、地域の伝説も踏まえつつ、地域の声や気仙の食べ物紹介など、観音参りの魅力が気仙の魅力があふれている。みなさんと回し読みをしたところ昨年の出来事を思い出し、大盛り上がりだった。わざわざ東京から来てお参りをしてくれた上、こんなすばらしい漫画を書いて頂きありがたい、地元気仙の人々に是非読んでほしい。発刊されたら購入して、しまさんを支えよう盛り上げようと話していた。こちらも心待ちである。 

 

3月27日/参加:福田、吉水  

 上野駅(8:02)…水沢江刺駅(10:22)…船野さんの車で世田米街中テラスで昼食(11:30)(12:20)…憲助さんの弔問(13:00)(14:00)…気仙町上長部から垂井が沢にかけての林道が通行可能か確認する…東海新報社にて上野さんと巡礼マップ改訂について打ち合わせ(15:00)…FMネマライン(16:30)、ラジオ出演(17:15)…憲助さん宅にてご接待…竹野邸(泊)

 朝はいつもの8時出発の新幹線。吉水さんとのトークに花が咲き、あれれという間に水沢江刺駅到着。大船渡の船野さんが迎えに来てくださる。先月、昨年の巡礼にも参加頂いたうえいろいろお世話になった憲助さんが突然亡くなられたとの報を頂いた。ぜひその弔問に伺いたいとお伝えしたところ、お迎えに来て頂くことになる。恐縮である。

 

 車の中で若い頃のお話を聞いた。まだ勤めてすぐの頃、十歳ほど上の先輩から食事を度々ごちそうになる、遊びに連れて行ってもらうと大変目をかけてもらった。申し訳ないと心ばかりのお返しをしたところ、「こんなことをするな。十年経って給料が上がったら、これはと思う後輩の面倒を見てやれ、それこそ恩返しだ」と言われたという。

 

 船野さんは10年後、言われたとおりに後輩の面倒を何くれとなく見ていたところ、サプライズで後輩たちが宴席を設けてくれたのだという。その場で先輩の話をしたところ、みんなで涙を流したと伺った。先輩の思いはさらに後輩へと伝えられた。「人の心を耕し種をまく」とは簡単にできることではない。まさに「恩送り」である。人とのつながりがまぶしく感じられた。

 

 穏やかな天気の中、種山が原を越え住田町に。日陰にはまだ雪が残っているが、鮮やかな新緑がまぶしい。この日は古民家を改築して交流スペースにした「まちや世田米」で昼食。住田のおしゃれスポットである。

 

 サラダバーとドリンクがフリーで、おからのチーズサラダやポテサラ、冷やっこ、そしてレタスやプチトマト、キュウリといったグレーンサラダ。ドレッシングも4種類もある。いやしく一通り皿に取ってもりもり食べると、結構おなかが一杯になる。日替わり定食は、ありすポークの生姜焼きと赤魚のフリット1280円也。もちろんおいしい。続々と席が埋まり12時過ぎには一杯となる。席を譲るべく店を出る。街の核となる施設ができた。 

 

 車で日頃市の憲助さん宅へご弔問に伺う。日当たりの良い広い家だ。部屋には半間もある大きな仏壇が据えてあり、捧げられたたくさんの花の中に亡き憲助さんの写真が飾られている。ほろ酔いでいい気持ちの時の写真だと聞いた。にこやかで顔色がとてもよい。

 

 吉水さんとお勤めをする。以前長谷寺ご本尊十一面観音の前でご詠歌をお唱えしたき、憲助さんや奥さんがとても喜んでくれたので、鐘鳴らし鉦をたたき「追弔和讃」をお唱えする。

 

「人のこの世は永くして 変わらぬ春と思ひしに はかなき夢となりにけり あつき涙の真心を みたまの前に捧げつつ 面影しのぶも悲しけれ」

 

 憲助さんに声は届いたろうか。夕食は憲助さん宅でご接待頂くことになった。

 

 船野さんの車で高田まで行き、明日のコースである上長部から今泉への山越えができるか確認する。昨年は三陸道の工事中で通行止め。金剛寺までタクシー移動を検討していたが、新川さん東海新報の上野さんらが車を出してくれ、スムーズに移動できた。

 

 果たして今年はどうなるのか。数日前問い合わせたところ、高速道路の下は通れるが今泉側のかさ上げ地については市の管轄のためよく分からないとのこと。長部中の先、長圓寺脇より林道に入り坂道を上っていく。峠である「一本松」まで行き、垂井が沢へと下っていく。

 

 果たして金剛寺にたどり着けるのか。三陸道下のトンネル発見。くぐった向こうは、明るく開け区画整理の真っ最中、ほこりがすごい。なんとすぐ近くまで舗装道路が通っており、これなら山越えルートは明日使える。懸案のルートが通行可と分かりほっと胸をなで下ろす。

 

 次は東海新報社へ。霊場マップ改訂の打ち合わせである。東日本大震災が起きてから7年が経過し、訂正すべき事項がたくさん出てきている。

 

 この度、仏教伝道協会から支援金をいただけることになり、全面的な改訂と増刷を行うことにした。

 

 表面の地図についての改訂箇所は下記の通り。

  1. 移設された霊場の場所
  2. 交通機関の記載変更
  3. 公共施設の記載の追加
  4. 失われた施設の削除
  5. タピック起点の巡礼コース削除
  6. 各観光物産協会の位置追加
  7. 観光スポット追加
  8. 表紙のデザイン改訂
  9. しまさんのカットの取り入れ

 裏面のガイドについての改訂箇所は下記の通り。

  1. 霊場の略図改定
  2. 霊場連絡先の改訂
  3. ご詠歌の仮名遣いの訂正
  4. 霊場写真を改訂など

 上野さんにもアイデアをもらい深まった。この夏の完成を目途として進めていくことになった。ネマライン終了までだいぶ時間があるので、船野さんと岳上人は大船渡温泉で入浴してもらう。

 

 私はラジオ出演に当たっての打ち合わせ。今年は長田さんが担当してくれる。内容は、自己紹介、活動の内容、コース改定の理由、巡礼の雰囲気、当日参加の可否、各日の集合場所・時間など。昨年も出ているのでだいぶリラックスして臨めた。待ち時間は、控え室のCDコレクションを見たり、チラシを読んだりして時間をつぶす。昨年担当された田村華恵さんともお会いする。

 

 いよいよスタジオ入り。椅子の前には円盤のようなマイクが。向かいの長田さんは手慣れた手つきで、ボードを指でちょいちょいと操作し番組中の効果音や音楽を入れる。ボリュームを下げてトーク開始。導かれるままにお話しする。時間が限られているため無駄なことは話さぬよう、言葉をはっきり話すよう心がける。ちょっと笑い声も入っちゃったりして、二度目の余裕だ。

 

 私のトークが終わってあと1分15秒。カウントダウンされていく数字を見ながら、長田さんはもう一度、明日からの集合場所・時間を読み上げていき、ばっちり終了。時間に対する鋭敏な感覚はさすがプロ。私ならあと何秒だ、とあたふたしてしまうに違いない。お礼を申し上げ東海新報社を後にする。

 

 夕方は船野邸でごちそうになる予定であったが、憲助さんのお宅でご接待を受ける。憲助さんと初めてお会いしたのは3年前の冬の長野であった。

 

 全国展開をする長野の水産会社と大船渡市が提携し、両市の経済交流につなげるべく大船渡市、長野市のお歴々が一堂に会する場になぜか我々も呼ばれたのだった。市長、議員、市役所の幹部、観光協会、地元企業、長野の僧侶などなど。どのような趣旨の会かも知らず末席に座っていた。そこで金野さん、船野さん、憲助さんらに気仙三十三観音巡礼が観光客を気仙に呼び込む大切な資源であることを、酔った勢いも手伝い熱く熱く語ったことを覚えている。

 

 憲助さんとの思い出といえば、翌年の徒歩巡礼で足が痛くなり車に乗って周りから冷やかされたこと、BRTの発車時刻に間に合わないと走らせたこと、その晩酔っ払って電話がかかってきたこと、その後も何度か楽しく酒席を共にしたこと、酒場「海峡」に行こうと約束していたことなど、いろいろだ。在りし日のあんなことこんなこと、おいしいお魚とお酒を頂きながら楽しくお話をした。でも笑ったと言っても泣き笑いだ。

 

 船野さんが帰りに「一杯やりながら、故人の昔話を語り交わす。いい弔いができた。弔いというのはこういうものではないか」といった言葉が心に残る。本来なら明日からの巡礼にも参加されたであろうに。残念無念である。ご冥福を心からお祈りしたい。

 

3月28日/参加:27名(スタッフ:福田、吉水、サポートカー:新川、大和田) 

〈集合〉長部駅 8時10分 〈解散〉陸前矢作駅 1542

長部駅(8:23)0.5km…要害観音堂(8:37)(8:54)1.1km…古谷観音堂(9:17)(9:32)3.5km…上長部供養塔(10:10)(10:20)…上長部観音堂(10:32)(10:49)…金剛寺(12:14)(13:12)0.9km…泉増寺(13:34)(13:47)3.5km…観音寺(14:36)(14:55)1.2km…馬頭観音堂(15:17)(15:33)0.5km…陸前矢作駅(15:42)   計14.2km

 快晴、日差し強し。絶好の巡礼日和である。この一週間天候が安定し雨に降られないとの予報だ。大船渡駅に着くと駅の向こうに防災観光センターが落成していた。観光物産協会がここに引っ越してくるし、会議室もできるそうだ。

 

 秋の行事はこちらでの開催もあり。草ボウボウの荒れ地に立派な建物が建ってきた。来るたびに風景が変わっていく。お世話になった屋台村も更地になっており寂しい限りだ。来春には住宅街になっているのだろうか。

 

 BRTで長部駅へ。バスを降りると広場には大勢の人が、その数27名。歩こう会の方々も蛍光イエローのユニフォームで大勢参加してくれている。

 

 最高齢山口さんは身内の供養のため全日参加を決めたと聞く。「東海新報」で巡礼の記事を見つけ、矢も楯もたまらなかったとおっしゃった。普段歩いていないというのでちょっと心配だ。挨拶をした後、要害観音堂へ。

 要害観音堂は被災し、観音堂、別当家が流されたが、一月後にお堂のあった辺りを別当家熊谷さんが掘ったところ、ご本尊の兜仏とお前立ちの観音様が見つかった。

 

 お堂再建に向かって尽力されたが、元あった土地は買い上げになり建てられず、他の土地も坂がきつかったり狭かったりと難しい。結局高台移転したご自宅脇に再建することとなった。

 

 新たになった住宅地の中なのでいきなり行くと分かりにくいかもしれない。もう立派なお堂が完成していた。これで気仙三十三観音すべてのお堂が再建された。まことによろこばしいことだ。

 

 4月5日に落慶法要とのこと。まだご本尊は鎮座していないが、お堂の前で法楽を捧げる。中には「観世音」の扁額が。クリーニングしたそうだ。今年は新川さんばかりでなく大和田さんもサポートカーを出してくれる。何かの時にとても心強い。心を寄せてくださる方がいらっしゃるのでこの活動を続けて行かれる。

 

 国道をトンネルでくぐり、古谷観音堂へ。坂道を上ると大海原が一望のもと、奇岩に波が打ち寄せている風景が臨めた。何度もここを歩いているが初めて気づく。みなさん写真を撮っている。まさにインスタ映えする場所だ。畑には、黄色い水仙や芝桜が咲き出し、花巡礼。昨年はこの辺りで鹿と出会ったっけ。会を重ねるとは、思い出もまた重なっていくということ。

 

 大古谷と記された立派な門柱を通り、立派な枝振りの松の下をくぐり、母屋の裏手にある観音堂へ。お家の方が待っていてくださる。観音堂へ上る階段が明るく開けたように見えたのは、賽銭泥棒が三度も入り遠くからでも見えるよう伐採したとのこと。寂しい話だ。普段は鍵をかけているので来るときは連絡をとのことだ。

 

 お堂に上がり御法楽。ぎゅうぎゅう詰めであるが、このみっしり感が連帯感を醸しだしてよい。本尊前の幕を手で上げて6体ある観音様を間近でお参り頂く。新川さんのホラ貝がいまいち不調。東海新報の記者の方が取材に来ている。翌日り「東海新報」には、記事と共に満開の梅の脇をみんなで歩いている写真が掲載された。お堂内のお参り風景ではカメラ写りの良い方が中心になって撮られていた。

 ここから坂を下って長部川へ。国道をトンネルでくぐり三陸道の下を通り上長部へ。向かいの山は崩され住宅地になっている。高速の橋脚ができ、山の杉が切られ、道が付け替えられとだいぶ風景が変わってしまった。

 

 上長部公民館前の慰霊碑で心経一巻を捧げる。震災から七年がたち、供養塔に記された文字もだいぶ読みにくくなってしまった。時の移りゆきを感じてしまう。トイレを借りていると、公民館でお茶っこをしていた方が来て、お茶の御接待。

 ここまで来れば上長部観音堂はすぐ。道を左に折れ、観音堂の石碑を左に曲がり、鳥居をくぐり山道を少し登ると立派な観音堂が杉林の中に建っている。山道なので慎重に登る。

 

 暗いお堂なのでろうそくを灯し法楽。ご本尊はまっくらなお堂の中のさらに暗い格子戸の中にまつられておりほとんど見えない。ちょうど新川さんがライトを持っていたので、明るく照らしご本尊を拝する。観音様を拝むのは初めてという人ばかり。代わる代わるお参りしてもらう。

 

 ここから、上長部仮設跡地の脇を通り、林道を行く。仮設があった痕跡も特になく、あと数年したら草むらへと帰っていくのだろう。いよいよ杉林の中に伸びる送電線巡視路という山道を登る。沢をジャンプで乗り越え、足に絡まる枝打ちされた杉枝を払い、一足一足歩を進める。

 

 この日は快晴、ぐんぐん気温が上がりなんと23度を超えた。汗がしたたる。頭上が明るく開けてくると峠は近い。結構皆さん辛そうだ。少し間隔が開く。ほどなく林道へひょっこりとでる。ここ「一本松」で休憩。みなさん水をたくさん飲んでいる。山口さんはこの区間サポートカーに乗って頂いた。

 

 峠には和紙の原料になるミツマタが濃い黄色の花を付け満開。初めてそれと知るが目を引く美しさだ。林道をだらだらと下り、貯水池を左手に過ごし、三陸道をくぐると、ぱっと視界が開け、今泉のかさ上げ地。たぶん10m程度盛り土をした上に今立っているのだろうが、実感がわかない。

 

 左は造成中で通行止め。正面には災害公営住宅が二棟建っている。正面には気仙川が左右に伸び、その向こうには高田の新市街地が一望できる。右手に曲がりぐるっと遠回りした金剛寺へ。ダンプが行き交い埃が舞っている。来年はすっきり道がつき家が建ち並んでいるのか。

 

 高台に建つ金剛寺ご本堂へと坂を上る。本堂周囲は分譲され家が建っている。昨秋に落慶したご本堂に上がりお参りの後昼食を頂く。新築間もない本堂を汚しては大変とみなさん外陣の板の間で昼食を取っていた。奥様にお茶とお菓子をご接待頂きゆっくりと過ごす。トイレを済ませいざ出発。

 

 泉増寺までは高台造成のためなのだろう、うずたかく積まれている土の脇をへつるように行く。仮設の塀沿いに歩かされどうもしっくりこない。来年はきれいに整地されているのだろう。

 

 「小安石」脇から坂を上り泉増寺へ。坂の手すりも法面も津波で削られたが修復された。ご本尊は、岩手県指定文化財に指定された気仙最古の鋳造仏である。

 

 お堂の前でご法楽。子どもの頃藤の花を見に訪れ藤棚の下でお弁当を食べた思い出があるという方がいた。藤の幹をしみじみ見るとなんと一抱えもある大木。こんな立派な藤は見たことがない。トイレを借りる。

 

 ここから矢作へ峠越え。以前は暗い杉林の林道だったが、住宅地の造成がなされ立派な舗装道路となった。ゆるやかな登りが疲れた足に効く。昨年は、この登りにヒーヒー苦しんでいる人が何人もいた。強い日差しで汗がしたたり落ちる。日焼け止めが汗と混じって目に入り痛い。

 

 同行の人は畑仕事をしている人、すれ違う人に、「こんにちは」と声をかける。観音参りをしていると告げると、「東海新報に出ていたね」と声を返してくれる人もいた。心を寄せて記事を読んでくれている人も多いのだ。峠に至れば後は下るばかり。

 

 矢作に到り観音寺へ。観音堂へ上がりお参りをする。ご住職が来てくださり、お寺の由来についてお話しくださる。法要後、法螺貝を立てて歓迎してくださる。若奥様がいらっしゃりお茶のご接待。この時点で陸前矢作駅予定の時刻になったので、一人早めにお帰りになる。

 

 他のメンバーで馬頭観音堂へ。旧道をゆったりと歩く。ほどなく今は使われなくなった線路を越え、急な階段を上り本日最後の霊場へ。疲れた足に最後の階段がさらに効く。昔は各家に馬が何頭もいたと聞いた。その頃は縁日というと階段下に屋台が出るほどの賑わいだったとか。

 

 お堂の前でご法楽。吉水さんがご回向をする。

 

 この日は距離以上に山道の急登、峠越え、お堂への階段とアップダウンが多く厳しいコースだ。さらに直射日光を浴びた暑い一日。私は2リットルの水を飲みきった。にもかかわらず、みなさんしっかりと歩いて頂いた。ここから家までさらに1時間半歩いて帰ったという強者も。さすが足が達者だ。栃木からお越しの鈴木さんはこの日だけのためにわざわざ来てくださる。ありがたい。

 

 我々は新川車に乗せてもらい大船渡温泉へ。温泉ロビーで今朝東京を出てきた藤沢さんと合流。その後、いつもの如く中村へ。

 

 吉水さんは18時13分大船渡発BRTで帰京する。刺身といかのふ焼き、ブリカマ焼きを取ってグビリとのどを潤し、いそいで駅へと向かう。髪はないが後ろ髪を引かれる思いだろう。我々はゆっくり気仙の海の幸を堪能する。

 

 

3月29日/参加:26人(スタッフ:福田、藤沢、サポートカー:新川、大和田)

〈集合〉陸前高田駅 8時  〈解散〉平栗福寿庵 14時20分

前高田駅(8:09)0.8km…大石観音堂(8:21)(8:32)1.5km…羽縄観音堂(9:06)(9:15)0.6 km…正覚寺(9:28)(9:50)1.3km…延命寺(10:19)(10:36)7.0km…常光寺(12:29)(13:21)3.2km…平栗福寿庵(13:58)(14:20)…舞出口バス停  計15.7km 

 この日は曇り。昨日の暑さが和らぎそうだ。今朝の東海新報に巡礼の記事が掲載されていた。かなり大きく取り上げられ、霊場の由来や活動の経緯を記した後、古谷観音堂での様子や「それぞれに亡き人を思い、祈りを捧げられる場にもと、回を重ねてきた。繰り返し参加される人も多く、柔らかな和が結ばれつつある」との発言が掲載されていた。

 

 BRTに乗るとすでに盛から参加者が乗っていた。さらに小友で乗車しにぎやかに陸前高田駅に。すでに大勢の方が待っている。この日は「中外日報」の赤坂記者が午前中取材のために一緒に歩いてくれる。少し時間があるので、歩こう会の方々にしまさんの漫画を読んでもらう。寺沢さんは漫画の中でその人とわかる描かれ方で登場している。わいわいと盛り上がる。この日も大和田さん、新川さんがサポートカーを出してくださる。

 まずは大石観音堂へ。駅から坂を下っていくのだが国道がかさ上げされ付け替えとなっている。もとの道は工事中で行き止まり。

 

 現場の人に断って観音堂へ。以前はメインストリートとして賑やかだった道が脇道に追いやられ寂しく感じてしまう。坂を上って大石観音堂へ。御当主が待っていてくれる。

 

 縁先に祀られる観音様の前で御法楽。先祖は気仙三十六旗の旗頭を務めたという由緒正しき家である。樹齢300年とも言われる高野槙を近くで愛でる。高台なのだが、かさ上げの国道とほぼ同じ高さになった。不思議な感じだ。津波は敷地のすぐ下までやってきたと聞いた。見渡せる高田の街は来るたびに大きく姿を変えている。

 

 元来た道を登り返し旧道を竹駒へ。正面に横たわる高速道路下をくぐり羽縄観音堂へ。昨年は秘密の場所に鍵が隠してあったが今年は見当たらず。参加者が管理者に電話で聞いてくれたところ、賽銭泥棒が入って鍵が壊されたとのこと。不心得なやつがいるのだ。納経の用紙があるのだが鍵が開かないため得られず。後日参加者の一人に頂いてきてもらうことにする。

 

 すぐ前にあったお店も移転し以前の賑わいがなくなった。法楽後、しまさんの漫画に記されている「羽縄」にまつわる「鮭の大助」の昔話をみんなに伝えた。

 

「昔、松野家のご先祖が大鷲を退治しようと牛の皮を被り懐剣を握り待ち構えていたところ、逆に大鷲にさらわれ、遙か南方の孤島にある巣に置き去りにされてしまう。このピンチを打開すべく巣にあった「羽」で「縄」を結って無事地上に降りることができた。そのとき白髪の老人が現れ鮭の姿となって家まで送ってくれたという。それから10月12日の気仙川の鮭止めの縄を解き上流へ遡る便宜を取りはからうことを約束した。めでたし、めでたし」というお話だ。

 

小さなお堂ではあるが、豊かな伝説が息づいているのだ。

 

 国道を少し進み右手に曲がると正覚寺。千昌夫のご実家脇の坂をご本堂へ。お堂に上げて頂き御法楽。ご本尊は阿弥陀様、左手の床の間に霊場の観音様がいらっしゃる。みなさん、法事では来たことがあるが観音様を拝むのは初めてとおっしゃる。ご住職もいらっしゃりしばし談笑。吉水さんが昨日帰られたことをご報告する。トイレを借りいざ出発。暑すぎず寒すぎずまさに巡礼日和だ。

 

 さらに進み、国道沿いの慰霊塔で心経一巻を捧げる。正面の岩倉の下にご遺体がたくさん集まったと伺った。花が捧げられて賑やかな雰囲気だ。ここで赤坂さんとお別れ。竹駒駅がすぐそば。午後からは他の場所に取材だと伺った。

 

 4月6日発行の「中外日報」には一面で大きく取り上げられ、参加者のコメントとして「まだ見つかっていない人も大勢いる中で、盛り土がどんどん積まれて復興していく。これで本当にいいのだろうかとやりきれない気持ちになってしまう」と複雑な表情を浮かべたとされ、また、終戦時、戦地から帰ってこない息子のために観音参りをしていた大人たちを今でも覚えており、「当時そんな物きかないだろうと思っていたけれど。子どもを失うのはこんなに辛いとは」というコメントも記される。

 

 最後にメンバーの藤沢さんの「ここではみんなが被災者なので『つらい』と言えない。私たちは聞き役でいいと思っている。来るだけしかできないが、今後も活動を続けていきたい」という発言で締めくくられている。丹念な取材による記述であると思う。

 

 少し戻り延命寺へ。山門の周囲がコンクリートで固められ改修されている。ご本堂に上がって御法楽。左手奥にある観音像はいつ見てもすばらしい。大きな切り株の上に鎮座し後ろは涅槃図の幕が張り巡らされており、荘厳な雰囲気を醸し出している。以前祀られていた氷上山中にあるお堂、今度訪れてみたいものだ。

 

 ここから竹駒神社に出て旧今泉街道を歩く。昨年教わった道だ。道は高台へと上がり、眼下には農村が広がり山へとせり上がっている。のどかな風景に心和む。松並木があったそうだが今は伐られ切り株があるのみ。少々残念だ。

 

 後ろを振り返るとみなさん楽しげに歩いている。「参加者」というより「同行」という言葉の方がぴったりくる。

 

 神社の脇を通り道は下りになっていく。ほどなく国道にでて道を横断し気仙川沿いの堤を歩く。梅が満開で馥郁たる香りを漂わせている。左手に川が右手に田がそのむこうには山並みが連なりなんとものどかだ。気持ちよく歩けるが昨年は雨の中色とりどりの雨具を着て歩いたっけ。

 

 山口さんは車に乗ってもらう。ようやく横田の街に入る。

 中学校を過ぎると常光寺はすぐ。坂道を上り観音堂へ。昨年ご開帳の年に当たり、戸の補修、畳替えがなされていた。本堂でご詠歌講の方々からご接待を頂く。お茶、お新香、手作りのお菓子を頂戴する。みなさんゆったりとお昼を取る。足を伸ばしてリラックス。

 

 奥様や講員さんたちにしまさんの漫画をお見せする。絵のタッチでてぬぐいを書いてくれた方とすぐ分かってくれる。ご接待風景がそのまま記されており、たいへん喜んでいただく。

 

 ここで秋の一日徒歩巡礼でお参りに伺った上有住八幡寺の宮崎さんが訪ねてくれた。一月ほど前に世田米光勝寺の住職に就任されたとのこと。ご多忙のようだ。光勝寺は中尊寺のご本尊とほぼ同じ時期の阿弥陀三尊像が伝わる。まだ一度も拝したことがないので、ぜひお参りしたい。メンバーの浄土宗僧侶と別時念仏会を開ければと思う。またいろいろ楽しくなってきた。

 

 みなさんにお見送りいただき、本日最後の霊場、平栗福寿庵へ。宮崎さんも平栗まで同道してくれる。横田の街を過ぎ国道を少し行き舞出橋を渡り、坂を上っていく。山の側面に巡らされている太陽光パネルがうっとうしい。平栗福寿庵と記された木製の道標から沢へと下り、杉林の中にあるお堂を拝する。

 

 本日最後のお勤め。堂内には熱いほうじ茶が用意されていた。フウフウ言いながらお茶を頂く。ここで解散。

 

 この日は世田米小股にある農家民泊「一期舎」さんにお世話になる。新川さんに連れて行ってもらう。犬のタロウは私のことを覚えていてくれ、散歩に連れて行けとせがむ。綱をつけると猛ダッシュ、おしっこ、猛ダッシュ、おしっこ。すごい勢いだ。国道を歩くが歩道がなくなるとちょっと危ない。でも世田米の里山を楽しんだ。

 

 観光協会の佐々木さんが漫画を取りに来てくれた。昨年は佐々木さん宅にしまさんと泊めて頂き、座敷童と会った話や、漫画トークで大変盛り上がったのだ。漫画にもワンシーンだがご家族が登場している。一晩貸し出し。

 

 夕食はお母さんの手作り。あさつきの生ハム巻き、じゃことゼンマイと薩摩揚げの煮物、ほやとまぐろの刺身、ばっけやかぼちゃなどの天ぷら、牡蠣フライ、一口カツ、ウドの酢味噌和えなどなど。

 

 酒はもちろん酔仙あらばしりだ。楽しく盛り上がり腹一杯に頂き就寝。今日も良い一日だった。

 

 

 

3月30日/参加:17名(スタッフ:福田、藤沢、サポートカー:大和田)

〈集合〉世田米駅 8時 〈解散〉上有住公民館 14時

 世田米駅(8:05)0.7km…向堂観音堂(8:16)(8:30)1.2km…満蔵寺(8:57)(9:12)6.4km…中清水観音・長桂寺(10:52)(11:27)7.6km…上有住公民館(12:45)(13:10)…城玖寺(13:33)(13:54)0.5km…坂本堂(14:02) (14:20)2.2km…山脈地バス停(14:20)  計18.6km

 快晴。朝もタロウの散歩。また猛ダッシュ。山に連れて行くと心たぎらせあちこちクンクン、鹿の鳴き声には敏感に反応し追って行こうとする。彼の中の野生が躍動している。

 

 帰って朝ご飯、焼き鮭、卵焼き、きんぴら、めかぶ、煮豆など。入魂の朝食。またご飯二膳。これでは太って帰るようだ。おいしく頂戴する。お昼のおにぎりも頂いてしまう。

 

 車で送って頂き世田米駅へ。佐々木さんが漫画を持参くださる。みなさん集合。新川さんはお仕事で欠席。 

 

 

 挨拶の後、バイパス沿いに建つ向堂観音堂へ。昭和橋も架け替えられるそうだが、橋の欄干に開いている穴は、B二十九の砲弾によってできた戦争遺跡。大切な記憶がひとつ無くなってしまう。

 

 足下には気仙川の清流、振り返ると蔵並が美しい。役場前には新たに木造作りの消防署が建っていた。バイパスはちょうど出勤と重なり車通りが多い。

 

 車の切れ目を見計らって観音堂へ。バイパスができたときこの地に移設されたと聞いた。今日初めての法楽。

 今日はトイレ設置箇所が少ないので、住田町役場でトイレを借りる。ちょうど町長さんとお会いする。木の町・住田らしい、木材をふんだんに使用した役場。高い天井のホールではイベントが行われるそうだ。木で作ったミニチュアの建造物が展示されている。精巧な作りに驚かされる。小さい頃から木に親しみを持つ子が多いのだろう。

 

 すっきりして出発。山口さんに足の具合を訪ねると特に問題はないとのこと。またこうおっしゃった。「つらくなくては供養にならない」と。つらさ、苦しさ、足の痛みも亡き方と共鳴するための感覚なのだ。以前「手を合わせるだけでなく、亡き人に近づける何かがしたいとずっと思っていた」と思い巡礼に参加されたという方がいらっしゃったのを思い出した。

 

 世田米の満蔵寺へ。階段を上がり仁王様に挨拶をし、気仙大工の技術の粋を凝らした山門をくぐる。右手に鐘楼堂。正面に立派な本堂。こんなに伽藍なのに住職が住んでいないというのももったいない。セコムが入っていた。

 

 昨秋の住田での行事のとき、檀家の方から「宗派なんてどうでもいいからあなたが住職になってくれ、檀家は困っている」と言われ、なんとも困ったことを思い出した。快晴だがそう暑くもなく気持ちよい日だ。

 

 ここからは国道と合流し、車通りが多い道をひた歩く。ただもくもくと歩くのみ。途中ローソンでトイレ休憩を取る。ただ借りるのも悪いので、飲み物を購入。住田の景気高揚に少々寄与する。橋を渡り対岸の道路へ。橋から見た気仙川の清流の綺麗なこと。車が通らずのんびり歩ける。一昨年千葉修悦さんに教わった道だ。

 

 今日は山田謙介さんが参加してくれているので幟を持ってもらう。今年はお仕事が急がしく一日だけの参加だ。川口の「うおまさ」を右に折れ、世田米街道を天風へ。地名の如く風が強くなり網代傘が飛ばされそうになる。網代傘も25年もの、だいぶ壊れてきてしまった。

 

 ようやく国道を離れ旧道を歩く。のんびり。歩こう会もこのコースを歩いてくれたそうだ。田畑の中に点在する家をぬって道はついている。気仙川の清流を見たり、祠に手を合わせたり、心が開放的になる。山の方に目を向け、心を寄せてみると、はっきりと鳥の鳴き声が聞こえた。ぼんやり見落としてきた美しいものがどれほど多いのか、とふと考えた。

 家並の向こうに杉の大木がちらりと見えると長桂寺。杉と杉の間の参道を通りご本堂へ。ご住職が待っていてくれた。正面に座り、鐘と木魚を使い御法楽。左に長桂寺の観音様、右手には中清水観音が祀られている。

 

 脇の部屋には「気仙三十三観音手ぬぐい」を額装し飾ってくれていた。さすがしまさん、本堂としっとりなじんでいる。お茶とみなさんよくご存じの下有住の「かっこう」という銘菓をご接待。「東海新報」を読んで今年は多いとお菓子を買い増してくれたそうだ。ありがたい。トイレを借りて出発。 

 

 のんびりとした風景の中、歩を進める。突然車が止まると長桂寺のご住職が。本堂に鐘を忘れてしまい届けてくれたのだ。ありがたい。周囲は、広く視界が開けとても気持ちが良い。のどかな農村風景の中おしゃべりしながら歩く。右から山が迫ってくると眼鏡橋は近い。

 

 この辺りが石灰岩の採掘現場となるそうで、大きなトンネルが掘られていた。ダンプ行き交う道になってしまうのか。眼鏡橋手前でみなさん歓声を上げて写真を撮っている。川の水がマリンブルーの色に染まり清流そのもの。うっとりする。橋脇にある「弁慶の足跡」は昨年探索したがどの石か分からず。道路の向かいにも石灰岩採掘のためのトンネルが口を開けている。来年はどう変わっているのだろうか。

 

 国道を進み程なく上有住公民館。地元の沢田さんが昼食を取るため部屋を予約してくれた。楽しく昼食。時間が押しているのではということになり、30分で出発。青空がまぶしい。

 

 橋を渡って国道を右に折れると城玖寺へ。ご住職がいらっしゃる。ご本堂で御法楽。秋の行事の際お会いし、教員を退職したのでこれからいつも寺にいるとのことであった。

 

 法楽後、寺の由来についてのお話があったが、参加者の中に、以前ご住職と同じ職場だった方がいらっしゃった。その他、檀家さん、近隣の方も。観音様はいろいろなご縁をつなげてくれる。

 

 歩いてすぐの坂本堂へ。お堂に上がり最後の法楽。天井板がはがれかけていたり、普通の住宅の趣ただよう。初めて来たとき子どもの机や家財道具が置かれていたのを思い出す。正面には役行者、右に獅子頭、左に観音様。神仏習合の形を残している。坂本堂を管理している小野家は、神職の家だそうだ。

 

 私は本日二度目の忘れ物。城玖寺に鐘を忘れてきた。山脈地バス停に帰りがてら回収する。くたびれてくると、ついうっかりが重なる。

 

 車がおいてある方は回収し出発。同乗させていただいた方もいたようだ。バスで世田米に向かわれた5人は、「まちや世田米」でゆっくりお茶をして帰られたそうだ。新たな交流がうまれるというのはうれしい。

 

 我々は新川車で大船渡温泉へ。海を眺めながら露天風呂にゆったりつかる。その後BRTで下船渡から大船渡へ。いつもの「山ちゃん」へ。笑顔がかわいい山ちゃんが迎えてくれた。お通しはぶり大根、ばっけみそ。それからおなじみ塩味のえだまめ、刺し盛り、ぶりかま、おまかせ巻物であがり。ビールと酔仙純米生で海の幸山の幸を堪能する。今日もまたよき一日だった。

 

3月31日/参加:28人(スタッフ:福田、藤沢、サポートカー:新川、大和田)

〈集合〉盛駅 8時 〈解散〉陸前赤崎駅 1250

盛駅(8:10)0.7 km洞雲寺(8:20)(8:35)2.5 km…稲子沢観音堂(9:30)(9:45)……0.7 km…舘下観音堂(9:55)(10:10)2.2 km長谷寺(10:50)(11:20)4.3 km…田端観音堂(12:44)…陸前赤崎駅(12:50)  計10.4km

 この日は、盛駅8時集合、時間にゆとりがあるので、大船渡魚市場まで歩き「レストラン海」で朝食。市場は土曜であるせいか人も車もそう多くない。金剛杖と網代傘姿を怪訝な顔で見られつつ2階へ。7時オープン。青空が見渡せ日の光がさんさんと注ぎ込む明るい食堂で日替わり定食。灯台の形をした箸入れがかわいい。

 

 この日は、銀鮭、焼き肉、ホタテ入り茶碗蒸しと豪華。780円也。サラダ、味噌汁、ご飯はセルフ。茶碗蒸しに入っているほたてがやけにでかくて感動。さすが大船渡だ。一杯ではおかずが残るため、また二膳たべてしまう。朝から大満足。藤沢さんも気に入ってくれた。

 

 徒歩3分の大船渡魚市場駅から盛駅へ向かう。BRTを降りると待合室には一杯の人が。ほとんどが巡礼の参加者だ。この日の参加は28人。駅舎前にて挨拶をして出発。昨年の長谷堂から赤崎へ山田林道を歩き峠越えしたが、大変評判が悪かったので、今年は楽なコースに変更すると話す。昨年参加した人は、悲鳴を上げつつ登ったことを思い出したのであろう、声を上げて笑っていた。

 

 盛市街をうねうね歩き国道を渡って洞雲寺へ。杉の大木そびえる参道を上り竜宮門をくぐって観音堂へ。高く大きい屋根を持つ立派な本堂の前には何かの修繕なのか、クレーン車が入っている。

 

 観音堂前でお参り。勤行式がなくなってしまったが、新川さんにコピーを頼む。速やかに行動してもらいありがたい。観音堂は正面扉に網が張ってあったが、今年は無くなっていたため、しっかり観音様の写真が撮れる。新たに加えられた陶製の観音像も幾体か見える。しめて三十体はありそうだ。

 

 それから境外にある東日本大震災で亡くなった方の霊を悼む石造りの大きな観音像の前で心経一巻。台座には亡くなった方のお名前が刻まれている。関東の地名が名前と共に刻まれた方は、里帰りをしていて被災されたのだろうか。見知った名前があるので、こう見るのが辛いとおっしゃっていた方もいた。

 

 盛の商店街を歩き、新川さんのお宅でご接待。庭に机と椅子をしつらえられてあり、季節限定イチゴ味カモメの卵とヨーグルトドリンクをごちそうになる。

 

 この日初参加という方は、庭に入るのを一瞬ためらっていた。「ご接待ですから、どうぞ奥からつめてください」と声をかける。

 

 確かに日常生活の中で見知らぬ人から何かを頂くことはまずない。巡礼中はいろいろご接待を頂き、背中を押してくれる。見返りを求めず、ただ差し上げる、本当の布施行である。

 

 まだ一キロも歩いていないのに、けっこうなカロリーを摂取する。巡礼ダイエットはなかなか難しい。お礼を申し上げ稲子沢へ。商店街を抜け、盛川河川敷を歩く。昨年、歩こう会の方から教わったルートだ。空は青く河川敷も広々、気持ちよく歩く。三陸道をくぐり車道へ上がるとすぐに稲子沢観音。

 

 再建された観音堂の前で御法楽。えさし郷土館に稲子沢家が三代かけて作った101体の観音像が収められていることや、以前観音堂があった場所についてお話しする。

 

 お堂の天井は四方に向かって放射状に木が伸びているのを発見。凝った作りだ。観音堂再建が御当主の悲願だったに違いない。気仙の宝がまたひとつ増えた。トイレを借りて出発。

 

 舘下観音堂は徒歩5分程度。御当主の妹さんがわざわざ来てくださる。ガラスの覆いが巡らされた鞘堂に守られた観音堂。

 

 以前、堂内でお参りし立派なお座敷でお菓子とお茶をごちそうになったことがあった。柱も床の間もたいそう立派で驚いた記憶があるが、今お住まいの人がいないのはもったいない。

 

 国道を横断し、三陸道下から河川敷へ。国道45号や岩手開発鉄道のガード下をくぐり、立根川との合流点で一端土手に上り長谷寺へ。また話をしながら広がって歩いてしまう。気持ちも伸びやかだ。ほどなく長谷寺。

 総代さんが出迎えてくれる。ご本堂、観音堂も開け放たれている。総代長さんからのご説明がある。私はご住職から差し入れのリポビタンDをみなさんにお配りする。いつもありがたい。

 

 収蔵庫に入り、平安後期作で県文化財に指定された、木訥で迫力あるご本尊十一面観音像の御前で御法楽。鉄筋の収蔵庫は声の響きが良いのはもちろんなのだが、とりわけ気持ちが入り、称える声に力がこもる。初めてお参りするという方多数。いろいろな仏像をゆっくり拝する。

 

 寺に行くことがあってもわざわざ連絡をしてご本尊と対面しようとまではなかなか思わないだろう。この気仙の宝をもっと多くの方にお参り頂きたい。トイレを借り出発。

 今年の新コースは、歩こう会の寺沢さんらに一任。住宅地の中の細い道を長谷堂貝塚へと進み、カモメの玉子の工場脇を通り、山田林道との分岐を右折。地元の人しか知らない家の軒をかすめるような狭い道を拾いながら歩く。

 

 分岐以降はだらだらの下り。椿や梅が満開、眼下に盛川、盛の街を俯瞰しながらのびのびとした気持ちで歩く。連なる山の上には青空。とても良いルートだ。分岐があるが下に降りぬよう左へ左へと歩けば問題はない。

 

 と思いきや、一人がはぐれたとの電話連絡が。急ぎ新川さんに電話をし探索してもらう。そうこうしていると眼下の道に人影が見えた。一人が迎えに行き無事合流。どうも座り込んで携帯電話で話をしていたのだが、電話が終わり辺りを見渡すと誰も見えないので驚いて道を下ってしまったらしい。

 

 少人数で歩いていたときはひとかたまりで歩いているためこのようなことが起こらなかったが、参加者が増えるとイレギュラーなことが起きる。誰がいなくなったかも分からないというのは大きな問題であった。次年度からは、参加者名簿を作成、要所で名前を確認しなければならない。参加者が30人を超えれば班に分けることも考えるべきだ。そうすると幟も色違いのものを用意しなくてはならないかもなど次年度へ向けての課題が見えてきた。

 

 この道は、太平洋セメント工場手前のローソン前で国道と合流。眺めの良い道を歩いているとここが大船渡とも思えなかったとか、国道はよく車で走るけれど一本後ろに道があることも知らなかったし、新たな風景を発見することができたと喜ばれた方がいた。地元気仙への思いが深まってくれるのはうれしい。

 

 予定では陸前赤崎駅発12時53分乗車予定。時間がだいぶ押しているので太平洋セメントから赤崎にかけてはピッチを上げて歩く。駅周辺はかさ上げ用の土が積み上げられ広漠とした風景でなかなか近づかない。先頭12時49分着。電車が入線してくる。午後2時に用事が入っている方もおり、必死に駅への坂道を上り4人がぎりぎり乗車。もう少し待ってくれれば何人か乗れたのに…とは思うものの致し方なし。手を振ってお見送り。

 

 駅横の新築なった田端観音堂前で御法楽。初参加の方から感想を頂き解散。宗宮さん大和田さん新川さんの車三台でだいたいの方は盛へ。歩こう会の方はもちろん歩いて盛へ。4人が残って昼食を食べていたが、電車で盛についた北条さんが車を回してくれ全員送り届けられる。わざわざ車を出して頂きありがたい。私たちは日向ぼっこをしながら待つ。

 

 新川車が帰ってきた。まず赤崎の厳島神社へ。急な参道を車でびゅーんと上る。神社の一段上には平和の塔が。地元赤崎から出兵しお亡くなりになった方のお名前が刻まれている。大船渡湾を一望できる高台が永久の眠りにつくにふさわしいと選ばれたのであろう。心経一巻。

 

 途中コンビニで軽食を買い大船渡温泉へ。湯船に入ると連日参加している松田さんと偶然ご一緒に。若い頃から大型船に乗り世界中の海を航海してきたときの話を伺う。メルボルン沖では南極からの冷たい風と大陸からの暖かい風がぶつかり20mを超える波が立つことや、南アメリカの先端では一日の中に四季があるというほどめまぐるしく天候が変わること、船員の仕事は冷蔵施設の温度管理から積み荷の点検などやることが山積みで、常に効率的な段取りを考えながらきびきび生活していることなど。うかがい知れない船中での生活を聞きとても新鮮であった。

 

 また、この巡礼を通して、今まで無事に過ごすことができ、ここにいられるのも親や友人また観音様かもしれない何かに守られてきたからだという思いを強く持ったことを力説されていた。いままで知らなかった故郷の風景や神社仏閣、そして人の温かさに触れ、たくさんの気づきを得たと言って頂いた。

 

 巡礼とは器のようなもの、参加された方々それぞれがその器に思いを投げ込み何かを得るそんな場なのだと以前話したことがある。ぬるいお湯に40分ぬくもりながら熱い話を伺った。

 

 下船渡まで歩きBRTで大船渡へ。平山さんのお宅で漫画喫茶をやるというので立ち寄る。岸さんはもうお帰りになってしまった。川原住宅集会室でお茶とお菓子を頂く。しまさんの漫画、半分は平山さん、半分は岸さんが持っているそうだ。

 

 夕食は新川さん宅でのご接待。伴走車を出して頂くだけでなく食事までごちそうになり恐縮だ。新築なった仕事場の奥にある秘密の部屋でゆったりと過ごす。刺身を魚屋で隣の店でコロナビールと酔仙多賀多を購入。鰻とナメコ汁と山菜天ぷらのご接待。

 

 新川さんはビールを一本、二本、三本と瓶を空けていく。また、うれしいことに酔仙純米生に観音様ラベルを特注してプレゼントして頂く。もったいなくて飲めないと思いつつ、気がつくと瓶が空になっていた。観音様の御功徳が体に染み入るように感じる。無魔成満まちがいなし。最後に鰻のたれをご飯にたくさんかけて締めとする。ごちそうさまでした。

 

4月1日/参加:19人(スタッフ:福田、藤沢、山本、サポートカー:大和田)

〈集合〉碁石海岸駅 8時 〈解散〉小友駅 15時

 碁石海岸駅(8:02)2.0km…熊野神社熊野堂(8:36)(9:00)8.0km…小舘観音堂(11:35)(11:53)…神室邸(12:05)(12:55)5.6 km…田束観音堂(14:25)(14:37)1.5 km…小友駅(15:15)   計17.1km

 この日からBRTが時刻改正、ルートも一部変更された。今日も魚市場で朝食をと思ったが、発車時刻が10分遅くなったため断念。コンビニでおにぎりを食べていると、目の前を気仙ライナーが通過していく。これに山伏が乗っているのだ。昨日寺の用事を済ませた後、夜行バスで駆けつけてくれた。ありがたいことだ。

 

 7時に盛サンリア前着。昨晩お申し出が有り、新川さん宅にて衣帯を付けさせて頂くことになった。山伏装束を着けるのは慣れていて20分ほどかかるのだ。昨年は碁石海岸駅のトイレで付けて大変そうだった。

 

 碁石海岸駅に到着。ぞくぞくと参加者が集まってくる。この日は19名の参加。新川さんはお祭りの準備でお休み。大和田さんは引き続き車を出してくれる。

 

 山伏山本さんの法螺貝で出発。体に響くいい音だね~とみなさん喜んでいた。住宅地の中をうねうね歩き、末崎小へ。すぐ脇の道を左に曲がり門の浜へ。新川さんから教わった道だ。海に出るがそびえ立つ防潮堤に視界が遮られ向こうは見えない。海が見えないのは不安だよねと話していた。

 

 とりどりの椿が咲く道を緩やかに登り下ると三面椿の看板が。導かれるように脇道に入ると熊野神社だ。三面椿は台風で幹が折られ元気がないそうだ。気仙の宝物がいやさかに力を増して地元の方を元気づけてもらいたい。熊野堂の前に行くとなんと初めて扉が開いていた。

 

 お堂に初めて上がりお参り。平成5年に地元のご婦人方から奉納されたという白木の観音様はりんとしたお姿。今までは遠くから拝むだけだったが、こうして間近にお参りができうれしい。

 

 すぐ隣には阿弥陀様、弁天様、そして観音様だろうか、古い仏像が幾体か祀られている。さらに右のスペースには、時代がついたお不動様が。古に修験者が活躍した名残なのだろう。お堂正面に張ってある無礼な千社札をはがして出発。

 近くの麟祥寺さまに伺う。高台にある麟祥寺さまだが本堂の床上まで水が入ったとのこと。ご詠歌を教わったおばあさんたちはお元気だろうか。ご住職がわざわざおいでくださる。すぐにご法事が始まるそうだ。

 

 海に向かって建立された親子地蔵の前で心経一巻。お茶とお菓子のご接待が。ごま最中をおいしく頂く。帰り際に読経の声で聞こえてきた。

 来た道を戻るのだが、絶壁防潮堤の階段を上ってみる。上からは海が見渡せるが、港までの急な階段がかなりの高度感で怖いほど。広々とした港を歩く。海山が見渡せて気持ちが良い。漁船が停泊しておりお話をすると大きなカレイなどの成果を見せてくれた。

 

 港を出て県道へ。津波でガタガタにされた防潮堤もきれいに復旧された。道は上り坂になり、いったんBRTの線路で一息、さらにもう一段上って国道へ。車通りの多い道をただただ歩く。岸さんの故郷に入りテンションが上がって来た。農作業をしている人、庭に出ている人に声をかける。広報部長に任命する。

 「歩き参りをしている」というと結構知っている人がいるのに驚く。「東海新報」記事に目をとめて読んでくれる人がたくさんいるということだ。

 

 途中平山さんの知り合いの家にトイレを借りに行き小休止。ここから道は下り坂。大野海岸へ。防潮堤が完成しきれいになった。美しい砂浜を皆で歩く。岸さんは小学校時代この浜が通学路。崖をよじ登ったりとやんちゃな子だったらしい。

 

 山伏が海に向かって法螺を立てる。「まだ見つからない人に届いたかも」と皆さん話していた。

 

 ここまで来ると小舘はすぐ。道は開け広田小へ。峠を越えると岩倉の上に観音堂が見える。駐車場脇から山道を登るとすぐ岩倉のすぐ向こうが海。でもこの高さで津波の被害には合わなかった。ここは魚籃観音がご本尊。籃とは魚籠のこと。漁港に近いお堂ゆえ、漁師さんたちが航海の無事を祈ったのだ。

 

 観音堂の扉がなぜか開いていた。本尊の御厨子は閉じられていたが、脇仏の千手観音像と聖観音像を近くで拝することができた。

 

 港へと坂を下りてゆき、慈恩寺さんを通り、真子ちゃんのおばあさんの家で昼食をつかわしてもらう。金剛寺の奥さんもいらっしゃる。

 

 わさわさとお座敷に上がり各自持参の昼食を取る。ゆったりとくつろげてありがたい。牡蠣汁のご接待があるが、やたらと牡蠣がでかい。海のミルクといわれるが磯の香りと濃厚な味わいで、命が永らえそうだ。

 

 船野さんからは昨日家の前の川釣ったイワナの塩焼きをご接待。30cmはあろうかという大ぶりのイワナ、食べ応えあり。お礼を申し上げいざ出発。

 

 ここから広田小の脇から仁田山トンネルに向かい、だらだらの登りが続く。昨年山を崩しての大規模な新道開削が行われていたが、今年はもう完成。

 

 旧道から右に分かれまっすぐに上っていく。変化に乏しくおもしろくはないが、緩やかに上っていくだけで、アップダウンはなくかつ距離も短くなっている。トンネルはまだかとくたびれている人もいたが、昨年よりだいぶ楽になったと思う。

 

 トンネル手前の広場で休憩。トンネルを抜けるとあとは下るのみ。道はぐるっと円を描くように回りながらモビリアの脇を通り善性寺へ。鳥居をくぐり墓地の階段を上り山道へ。霊場の難所とされる。時間は10分程度だが、杉林の中の山道をひたのぼり。

 

 やがて観音堂が見えてくる。最高齢の山口さんもしっかり上られた。みなさんに拍手で迎えられる。お堂前で法楽を捧げ初参加者に感想をお話し頂き、ゆっくりと下る。みなさん三々五々駅へと歩いて行く。

 

 藤沢さんはこれで帰京。小友駅15時6分に乗るべく大和田さんの車で送ってもらうが、なんと本堂の縁先にバックと菅笠が。やばい。山口さんの携帯にかけ藤沢さんに変わってもらう。やはり忘れ物だった。バックには切符に財布に携帯が入っていたそうだ。ちょうど平山さんのブログ仲間が寄り合いで公民館に来ていたので、車を出してもらって駅へ。なんとかぎりぎり間に合ったらしい。ホッとする。

 

 私たちは小友駅近くの岸さん宅でしまさんの漫画の回し読みをする。お茶を頂いてまつたり。地元産の木材を使ったというおしゃれなお宅だった。明日は小友駅からスタート。杖と幟を置かせてもらう。らくちんだ。

 

 小友駅から船野さんと山本さんと大船渡温泉へ。大船渡湾と青い海を眺めながらの気持ちよい入浴であった。夕食は金剛寺さんのご接待。

 

 なんと真子ちゃんがニューヨークタイムズに大きく取り上げられたそうだ。朝日新聞の「声」欄にも大きく取り上げられた。本当に「持っている」人だ。未来商店街の鶴亀寿司へ。刺身、焼き魚、牡蠣、ほやなど食べきれぬほど。酔仙の多賀多とあらばしりを飲んでしまった。やけに盛り上がった。鶴亀のマスターも楽しい方だった。サイコーだ。

 

4月2日/参加:29人(スタッフ:福田、山本。サポートカー:新川、大和田) 

〈集合〉小友駅 8時 〈解散〉浄土寺 15時

 小友駅(8:02)1.8km…常膳寺(8:32)(8:47)…小友地蔵尊(9:12)(9:18)3.3km…立山観堂(9:40)(10:04)3.0km…普門寺(10:51)(11:49)2.1km…氷上本地堂(12:22)(12:33)2.2km…坂口観音堂(13:08)(13:32)0.4km…浄土寺(13:57)(14:22)

12.8km  総計89.0km

 小友駅に着くと駅前の広場には大勢の人。この日は29人もの参加。岸さん宅に幟と杖を取りに行く。山口さんからみなさんにお菓子の差し入れ。法螺貝の音を体に浴びてからにぎにぎしく歩き出す。天気は曇り。とても歩きやすい。広田半島の東と西から迫ってきた津波がぶつかって大きな柱となりすごい音がしたというのはこの辺りだろう。辺りはまだ整備中。アップルロードは整えられ延伸していた。

 

 途中山田さんが見送りに来てくれた。律儀な方だ。今年はお仕事が忙しく一日だけの参加なのだ。

 

 この辺りに住む山田さんに聞いたルートを通り最短で気仙三観音の一つ常膳寺へ。田村麻呂伝説が伝えられる古刹である。参道は緩やかな登りで結構足にくる。境内に入ると今度は階段。杉林の向こうに観音堂が見えてくる。近づくと樹齢1000年ともいわれる姥杉が壮観だ。初めてという人はその偉容に圧倒されている。

 

 江戸時代初期元禄に建てられたという重厚な観音堂前で法楽。戸の小窓からお前立ち十一面観音のお姿が暗がりにぼんやりと見える。お前立ちといっても2mはあろうかという大きなお像である。その後ろの幕の向こうに秘仏の観音様がいらっしゃる。

 

 昨年はお堂の前で鐘の小さなビスを落としてしまい、みなさんに探していたただいた。見つけてくれたのは今野さん。ご功徳でやせるかと思ったけど効果はなかったと嘆いていた。

 

 右折し小友地蔵尊へ。アップルロードをまたぐ橋の脇を上る。高田松原に植える小松を育てる畑にでる。だいぶ大きく育ってきた。植樹の催しが近々行われるそうだ。新川さん、岸さんも参加しているとのこと。小友地蔵尊は、海が見渡せるこの地に、2012年大阪の「元気人間製造研究所」より地蔵尊が寄進され、合わせて中尊寺より台座の寄進を受け完成した。心経一巻の法楽。

 

 

 アップルロードを歩き、新たに完成した高田東中の脇を通り、車の流れが途切れたのを見計らって横断し立山観音堂へ。梅や水仙、椿が満開。高台から海がよく見える。立山観音堂はお堂の周囲の芝が育ち、木々も根付き落ち着た雰囲気を醸し出してきた。

 

 お堂に上がり法楽。かわいらしいあゆみ観音について、また観音様の背後を飾る善光寺出開帳の回向柱についてその由来をお話しする。一人一彫りであゆみ観音と結縁した関西の多くの方々、両国回向院善光寺出開帳にいらっしゃった関東の何万という方々の思いが合わさり、立山観音堂が完成したというのは仏縁というしかない。

 

 別当家大和田さんに缶コーヒーやお茶のご接待を頂く。お堂前で記念撮影。

 

 お堂前の道をまっすぐ下っていくと、国道の下をくぐる。直進すると普門寺へ。高田病院も移転し空き地が広がるのみ。アンパンマンの人形を作り庭先に飾るお宅の脇を通る。緩やかなアップダウンを繰り返し近づいていく。

 

 いろいろお話を伺うが、今でもゆっくり風呂には入れない人がいると聞いた。津波がフラッシュバックしてしまい、首までつかることができずシャワーのみとのこと。心に受けた傷は、簡単には癒えない。

 

 大きな杉木立が目に入ると普門寺だ。深閑とした杉木立の中まっすぐに参道を行く。被災者追悼を目的とし多くの方が参加し制作された五百羅漢像が迎えてくれる。お顔や仕草がとりどりだ。

 

 本堂に一礼、左手にある蔵造りの観音堂へ。大仏と気仙大工の技術の粋を凝らした三重の塔の間に建っている。法楽後、墓地奥にある身元不明者の仮埋葬地へ。心経一巻。みなさん切ない思いでお唱えしたことだろう。

 

 プレートには、遺体が安置された場所と番号が記されているのみ。数字がなんとも冷たく感じられてしまう。

 

 駐車場に戻り各自昼食を取る。普門寺の奥様から夜のお菓子うなぎパイと抹茶ようかんを頂く。お昼ご飯は遠足のようなにぎわいだ。

 

 ニューヨークタイムズに記される金剛寺の真子ちゃんの記事をみんなで読むがいまいち分からない。帰ってから高瀬君か工藤君に訳してもらおう。トイレを済ませて出発。岸さんが作成した五百羅漢像二体を鑑賞する。かわいらしい。

 

 これから車通りの多い道をまっすぐに歩く。歩きながらお話を伺う。震災後大変なことが重なり他人に会うのもいやで引きこもっていたところ、たまたま会った知人から幽霊のようだ、背中を伸ばして暮らすようにと諭され、「がんばって」背筋を伸ばすよう心がけ、ようやく外に出られるようになったというお話を伺う。

 

 背中を伸ばして暮らすことさえ「頑張らねば」できないという苦しさ。家にいるとふさぎ込んでしまうのでこうして外へ出て色々な方とお会いできるのが嬉しい、とにこやかにおっしゃった。

 

 道を横断し左に入ると程なく氷上神社。参道を歩き本殿にて法楽。いよいよ結願が近づいてきた。左に連なる尾根の先端が光照寺、ジグザグに道を曲がりながら近づいていく。ずっと工事をしていた囲いがとれ大きな道が完成に近づいている。振り返ると移転した新高田病院が望まれる。道なりに下っていくとアバッセにかけてはまだまだ工事中。ダンプ行き交い砂埃が舞っている。

 

 坂口観音堂が元あった場所には津波でお亡くなりになった消防団員の慰霊施設と宮殿がしつらえてあった。心経一巻の法楽。

 

 ここから狐坂とよばれる坂を上り光照寺墓地裏に出る。境内に移設された坂口観音堂は扉が開かれ、ご住職がお待ちくださっている。

 

 お堂でお勤めをし美しい観音様を拝する。熱いお茶のご接待が身にしみる。みなさん慰霊施設である「ののさまの陸前高田駅」にて大位牌を拝む。こちらも知り合いの名前を何人も見ると苦しくなるとおっしゃる方がいた。

 

 工事中で大きく迂回しなければならないので、いったん戻り高田小経由で浄土寺へ。

 

「はるばると巡礼道に巡り来て願ひのごとく参る浄土寺」

 

のご詠歌の如く、この6日間を振り返りつつ最後のお参りをする。もう終わってしまうのかと寂しさがよぎる。良いお参りができたと感激ひとしおだ。こうして多くの方の参加が有り無事成満できたこと、ただただ観音様に感謝である。

 

 最後に全日参加した、岸さん、今野さん、北条さん、山口さん、澤田さん、松田さんから一言感想を頂く。スケジュールを調整して全日参加してくれた方が何人もいた。みなさん、足が痛く辛い思いもしているのだろうが、故郷気仙の新たな発見、気づきを得たこと、同行の方に支えられたことを一様におっしゃっていた。

 

 秋の行事の再会を約し解散した。巡礼ロスになってしまうかも、という人もいた。巡礼を大切な大切な時間だと味わってくださっているのは嬉しい。巡礼が終わっても、これからもご縁がつながり新たな何かを生み出してくれればと思う。

 

 ある方が巡礼後の感想をブログにこう記した。「私たちは幸せだねぇ~。こんなにいいどこ暮らせで」。気仙はほんとによいところだ。

 

 帰りに光照寺さんに立ち寄る。高澤ご住職が、「気仙三十三観音巡礼歌」を作詞し、いま曲を付けてもらっているそうだ。秋には完成していることだろう。こちらも楽しみだ。

 

1 青い空が 眩しいから          2 ささやく雨に嘘ぶいたり

  辿る路に 目を落としてた          笑う石を にらみ返したり 

  あなたに 逢えれば             あなたに 逢えれば

  変われるでしょうか             変われるでしょうか

  ひとさじほどの 願いだけど         ひとさじほどの 願いだけど

 

  三十三の巡り逢い              三十三の巡り逢い

  私に会えるところとか            私に会えるところとか

  ナームー観世音               ナームー観世音

  ご縁つむがれ手を合わす           いにしえよりの繋がりに

  どれほど歩いて 来たでしょうか       どれほど息して 来たでしょうか

  どおか どおか 応えて下さい        どおか どおか 聞いて下さい

  失くした涙 探してます           深く優しいまなざしで  

  そおと そおと 適えてください       そおと そおっと 護って下さい

  ああ 愛しさつのる 観音さま        ああ 愛しさつのる 観音さま 

 

 最後に次年度の宿題を記しておく。

 

  1. 参加者を把握できるよう、各日の参加者名簿を作成する。参加人数が30名を超えた場合、班分けが必要となる。色の違う幟の新規作成が必要かもしれない。
  2. 参加者の方から「気仙三十三観音てぬぐい」の図案がすばらしいので引き延ばしてパネルにし人目につく商業施設やホールなどに掲げてもらえば、霊場のアピールになるのではないかとの提案を頂いた。実現の方向で各所に打診してみる。
  3. 霊場ご詠歌のCDが欲しいとの要望があった。次年度までに作成する。
  4. しまたけひとさんの漫画『気仙三十三観音巡礼レポート』(仮題)がゴールデンウィーク明けに完成する。東海新報社に刊行を働きかける。
  5. 「酔仙」純米生貯蔵酒観音様ラベルの販売ができないか。バッチ、手ぬぐい、漫画そしてお酒と観音霊場グッズがそろう。

  今回の巡礼も、大和田さんがサポートカーを出してくれたり、澤田さんが上有住公民館を予約してくれたり、新川さんから「酔仙」の観音様ラベル酒を作って頂いたり、松田さんから観音霊場パネル作成の提案を頂いたりと、同行の方々が霊場再興を自らのものとして捉え、主体的に働きかけをして頂いた。この活動そのものが「成長」し、周囲の方を巻き込む力を付けてきた。少しずつ私たちの手を離れていっているように感じる。これからも回を重ねていき少しずつ霊場のファンを増やせるよう尽力していきたい。

 

 ゴールデンウィークは、「文化政策・まちづくり学校」開校式典参加で上有住五葉地区公民館と大船渡市民文化会館に伺う予定だ。しだれ桜が満開だろうか。楽しみだ。

 

 秋の一日徒歩巡礼は、日頃市の御御堂、お太子さま、長安寺、稲子沢観音堂の予定だ。また、みなさんの笑顔とお会いしたい。