活動報告(7)2013年1月

期 間:1月22日(火)~23日(水)

 

1月22日

上野駅(14:46)…一ノ関駅(17:13)…一ノ関(泊)

 2013年4月27日より5月19日まで、両国・回向院さまにおいて「東日本大震災復幸支縁 善光寺出開帳 両国回向院」が実施される。普段拝むことの出来ない仏様が遠方までお出ましになる「出開帳」。善光寺の一光三尊の阿弥陀様(出開帳仏)、お釈迦様の涅槃像などを拝せることになっている。出開帳は、東日本大震災の「復幸支縁」のために行われる。被災地のニュースが報道されることも少なくなっていき、人々の記憶からも徐々に薄れていく現在、被災地の現状を全国へ発信し、被災地の人々に「忘れない」というメッセージを届けるために、震災より2年が経ったこの時期に、73年ぶりに出開帳を行う。被災地の方々の幸いを取り戻し、遠方に住まっている地元出身の方々、また全国の方々とのご縁を結び直す場となってほしいと願ってつけられた「復幸支縁」という言葉をかみしめたい。出開帳実施に向けてご尽力されている、善光寺さま、回向院さま、また関係各位の思いが、ぜひぜひ多くの人に届いて欲しいと思う。

 出開帳には、気仙三十三観音霊場からも、がれきの中から発見された金剛寺様の如意輪観音、そして要害観音堂の聖観音、2体の観音様にお出ましいただくことになった。発見されたときの写真や観音様にまつわる物語などを記したパネルも用意し、お参りの方々に、気仙地域に代々伝えられてきた「祈り」の姿を、津波から奇跡の復活を遂げた物語を、ぜひ心に刻んでいただきたい。また出開帳期間中、ひとさじの会は、「気仙三十三霊場への招待」(仮)と題して、お話し申し上げる機会をいただけることになっている。これまた、お参りの方々と気仙の観音さまとがご縁を結ぶ場となっていただければ、とてもうれしい。

 

 今回の気仙行きは、出開帳の時、本堂前に建てられる「回向柱」の斧入れ式に参列することが主たる目的である。「回向柱」とは、ご本尊の御手に結ばれた金糸と結びつけられ、柱に触れる人々にご本尊の御慈悲をお伝えくださるというものである(上の写真は善光
寺さまの御開帳の時に立てられた回向柱)。

 この日は、出開帳についての会議が行われる日に当たっており、善光寺さま、回向院さまは、その会議を終えた後、急ぎ新幹線に乗り、9時過ぎに一ノ関着。小雨。この日は朝から雪が降ったそうで、街の中は5センチ程度の積雪。町中は真っ白である。やはり寒い。みなさまと12時まで懇談。

 

1月23日

一ノ関…回向柱斧入れ式…普門寺…圓城寺…(浄念寺)…一ノ関…東京

 6時半起床。8時半発。快晴。ちよっと手間取り出発少々遅れる。善光寺さんからは若麻績事務総長さんら4名、そして、回向院本多将敬さん、本多宗敬さん、宮田さん、仏師の村上さん、私の5名、総勢9名である。気仙沼経由では、時間がかかるとのことで峠越えの道を行く。善光寺チームからは、当然、雪道には慣れているので、後輪を滑らせながら走るのが楽しいとの声が聞かれた。でも、ズルーッと滑ったらどうなるのだろうか。ちょっと怖い。日向は雪がとけているが、日陰は凍結しているところがままある。道は山中へと分け入り、雪の白がまぶしくなっていく。高度もあがり凍結箇所も増える。トンネルを出たところと、下りに入ったところが危険とのこと。回向院チームも、負けじと付いていく。それにしても、善光寺チームの減速して慎重にカーブを曲がるときと、グーッと加速するときのメリハリがきいている走りに感心する。滑りそうな場所は感覚的に分かるのであろう。無事10時過ぎに村上製材所に到着。玄関前でミニブタを飼っている。かわいい、名前は「村上カルビ」。ブヒブヒと愛嬌を振りまいている。家の中で着替え。みなさんは衣に袴という正装で臨む。私は被災地お参りバージョンの作務衣に改良服に輪袈裟。ちゃんと伺っておけばよかった。


 空は快晴、車に乗って式場へと向かう。観音寺から金剛寺へと向かう山越えの道の途中に式場はある。辺りは杉が伐採されている。高台の復興住宅地としてこれから造成を始めるらしい。その際に切る杉の一本が回向柱として生まれ変わるのだという。みなさんは雪道を雪駄で歩く。数分歩いたところに、机にお花やお供物がしつらえてあり、一段下に注連縄を廻らした杉が二本ある。テレビや新聞社の取材も入っており、出開帳の運営を担当する企画会社の方々、地元の方々あわせて30人くらいが集まっている。まず御法楽、僧侶8名。「四奉請」で散華をし、般若心経、お念仏など。般若心経でお焼香をしてもらう。


 斧入れ式は、映画「先祖になる」に登場する佐藤直志さん、善光寺・若麻績事務総長、会長、山主の菅野さん、製材所の村上さんらが「エイ、エイ」のかけ声で杉に斧を入れる。樹齢120年程度の太い杉だ。まず一本目。そして更に太い2本目。「南無大聖不動明王」と墨書された白衣を身にまとっている直志じいちゃんが技と心を尽くして木を切り倒す。まず木の幹の倒す方の面をチェンソーでえぐり取る。直志じいちゃんは、数メートル離れ、伸びたりかがんだりしながら木の倒れる方向を確認し、またちょっと木を削って方向を是正する。そして幹の向こう側からグッとチェンソーをいれ、最後は割れ目にくさびを打ち込む。「カーン、カーン」と甲高い音がすると「ミリ、ミリ」と音がし、「カーン」という音と共に弧を描いて木が倒れ行く。「ズズーン」という音と共に地響きがはらわたに伝わる。生きている木の生命をいただくという感覚を身体で感じ取る瞬間であった。

 2本の杉は重なることなく、きちんと平行に倒された。確かな腕だ。これらの杉は「回向柱」として生まれ変わり、復興のシンボルともなるのだ。直志じいちゃんは、切り株に塩と酒を撒くと、柏手を3回打った。山の神に感謝すると同時に、山に新たな木を植え命をつないでいくことをお伝えするのだという。その後、挨拶、献杯、記念撮影にて式終了。山主の菅野さんの挨拶。菅野さんたちは、津波で家が流され、金剛寺の不動堂で一夜を過ごし、この山越えの道を通って公民館へと向かったという。雨が降り寒いうえ心細い思いでこの坂を登ったのだろう。そのことは今、この場に立って初めて思い出したそうだ。辛い記憶はあえて思い出さないよう無意識のうちに蓋をしておくのであろう。その命からがら逃げた辛い道の周辺が復興住宅へと生まれ変わる。笑顔や笑い声が聞かれ、心の通い合う道を作り上げていきたいとのお話であった。陸前高田の杉がご縁あって出開帳の回向柱となることに感激していると話された。


 村上製材所へと戻り着替えをする。村上さんのお宅も津波でご親族を何人も亡くされたとのこと。僧侶8人でお位牌の前にてお経をお唱えする。車で15分も走ったろうか。カフェレストラン クローバーにて村上社長に30人ほどで昼食をご馳走になる。いくらと鮑の海鮮丼。おいしくいただく。乾杯は村上社長。斧入れ式にも列席した友人は、津波で息子さん、娘さん、店の番頭さんを亡くされたそうで、息子さんは社長の息子さんと同級生だという。友人の胸をかきむしるほど苦しくてならないとの言葉を聞き、何ともかける言葉もなかったそうだ。命日には、ホテルの会場を借り、知人、友人、親族などを呼んでどんちゃんさわぎでもするかと言われたと涙混じりで話された。震災から2年が経ち、自分の中に閉じ籠もってしまっている人、新たな一歩を踏み出した人、いろいろだが、傷が癒えるまで長々い年月がかかる、末永く見守って欲しいとのお言葉が胸の奧に沈んでいく。

 

 そして直志じいちゃん。御年78歳。震災で息子さんを亡くされ途方に暮れたが、まず食べる物、米を作るという目標を立て、友人の休耕田を借りて稲を植えることが出来たそうだ。次の目標として住む家を建てることを決め、自分の力で家を建つことができたという。ご先祖を新たな家にお迎えすることが出来た。目標や夢を持ってそれを実現しようとすることが大切だとユーモアあふれる口調で語られた。人を引きつける魅力がある方だと感動する。お別れの時にひとりひとり手を握って「もう年だからいつあの世にいくか分からないけれど、どうもありがとう」と感謝の言葉を述べられた。温かな手だった。「先祖となる」が2月に上映される。是非見に行きたい。

 1時に普門寺さんへ。以前伺ったとき建設中であったお堂を拝む。東京芸大の藪内さんの門下生が高田松原の被災松を使って彫り上げた三体のお地蔵さんがお祀りされている。提灯が下がり、賽銭箱もそなわり趣きあるお堂だ。お堂の材木は、木曾檜であり木曾の材木店からのご寄進であるという。私は奥にある観音堂もお参りする。ご住職のインタビューの撮影や、お地蔵様を本堂内に移しての撮影と盛りだくさん。お地蔵様は、御像、光背、台座とそれぞれ分けて運ぶ。子供を抱くようにお地蔵様を運ぶのは何かありがたい。本堂内にも初めて入ることが出来た。時間がおして3時に出発。圓城寺から浄念寺経由で一ノ関へという予定であったが、時間の都合上二班に別れて伺うこととする。

 私は圓城寺さまへと向かう。3時半着。小林ご住職待っていて下さる。お茶を飲んでからご本堂にてみなさん如意輪観音様とご対面。美しい仏様であることは言うまでもないが、ご住職が子供の頃、先代から、寺に何かあったら、まずこの観音様を持ち出すように言われていたということを初めて伺う。以前はご本尊大日如来の一段下に御厨子に入ってお祀りされていたとのこと。また、みなさんに震災の後この仏像が発見された経緯を知っていただき、泥にまみれ諸処欠損している写真をご覧いただき、如意輪観音さまが出開帳にお出ましなさる意味合いを改めてご認識いただいた。仏師の村上さんは、仏像の寸法等を図られ、出開帳の際、どのように安全にお連れするかの手だてをお考えいただいた。そのうち企画会社の方々も到着。如意輪様の撮影、住職のインタビューを行った。4時半過ぎに圓城寺を後にした。おみやげに「酔仙 雪っこ」をたくさん頂く。みなさんにお渡しする。

 

 日が落ちるとグッと気温がさがる。-3度、道も凍っていく。ループ橋を越え山を下り、コンビニで浄念寺チームと合流。6時40分の新幹線にギリギリ乗車、駅弁買えず。でも、雪っこを飲みながら、笹カマを食べながら、出開帳への熱い思いを皆で語りあったのであった。帰りはあっという間。良き時を過ごしたと実感できる今日一日であった。 

(文責・福田亮雄)