期 間:2019年10月8日

 東日本大震災の際、気仙川を遡った津波が川からあふれ出して押し寄せ、甚大な被害を受けた金剛寺。壮麗な本堂、新築して一年半の綺麗な庫裡が津波の引き波でペしゃんと潰されてしまった。境内はがれきでいっぱいであった。

 

 震災後は高台にあり無事であった気仙成田山不動堂で近隣の方々との半年にわたる避難生活、その後は矢作の圓城寺さまに避難しての生活。不自由な日々を強いられた。

 

 ご住職は、120人を超える檀家の方々のご葬儀を勤め、悲しみに暮れる方々を励ましつつ、本堂再建へ向けて歩を進められた。がれきの撤去、仏像・仏具の掘り出し・洗浄、裏山を崩しての高台造成、寺の山の杉って本堂建立資材を調達し、自宅再建、それからいよいよ本堂建立へ。まさに6年がかりの気の遠くなるような大事業である。

 

 2017年10月8日。めでたく本堂が落慶し、大勢の参加者を得て盛大に法要が執り行われた。まことにおめでたいことである。ご住職の「まさか当時この日が来るとは思ってもみなかった」との言葉に打たれる。

 

 法要は、気仙成田山から、法螺貝の声が響く中、長女真子さん先導、長男の敬正君がご本尊如意輪観音さまを抱き、その後に岩手三十三観音霊場ご住職、岩手教区諸大徳が列をなし、ご本堂前の回向柱前に。まずご本尊ご遷座。

 

 そして、回向柱の開眼法要、本堂に入って本堂の落慶と仏像・仏画の開眼の法要が行われた。総本山智積院から馬場部長、大本山成田山新勝寺、長野善光寺、修復に尽力いただいた仏師の方、さらに檀家の方々、近隣の方々、岩手教区の檀信徒の方々などなど、新になった本堂に入りきらず、表のテントにも大勢参列の方がいらっしゃる。

 

 読経の声が堂内に響き渡るのを聞くと、参列されている方々の喜び悲しみさまざまな思いが職衆の声と混じり合い、新たな本堂に力が満ちていくような気がした。これからも多くの祈りが重ねられ、神聖な空気が満ち満ちていくのであろう。

 

 ご本堂の内陣の格天井には、以前の本堂同様それぞれ梵字が記されている。ご住職が写真を元に描かれ再現したもの。

 

 本堂左は位牌所となっており、位牌だけでなく、震災後各所から送られてきた仏像が祀られている。入口の鴨居の龍は前の本堂にあったものだそうだ。

 

 この度、山門にあった仁王様を材として住職が彫られた不動明王が加わった。何でもこなす器用なご住職である。本堂正面には、修法壇、天蓋、大日如来、コンガラ童子、セイタカ童子、弘法大師、興教大師、その前の御厨子に秘仏ご本尊如意輪観音像、立派に荘厳された。

 

 立派な仏具だけでなく、床柱や欅の柱、下地の板、梁などなど多くの方のご芳志によって整えられた物だと伺った。多くの方の思いが重なり、御縁が繋がり、このような立派な本堂が建立されたのだ。ご住職、寺庭が誠実に寺をお守りし、フラットに関わってきた証でもある。心からお祝いを申し上げたい。

 

 その後、祝宴がキャピタルホテルで行われた。後半金剛寺の復興の軌跡を辿ったスライド上映が行われた。

 

 震災直後の様子はもちろん言葉を失うが、ぐっと胸に迫ってきたのは、金剛寺の一年の行事を辿った写真の数々であった。

 

 正月の護摩、花まつり、夏のお祭り、年末のお炊きあげなどなど。様々な行事に檀家の方、近隣の方が楽しそうに集っている。門前に屋台が出て子ども達がうれしそうにかき氷を食べている。キラキラ輝いて見えた。ああ、このようなにぎわいが無くなってしまった。濃やかな交流が為された場が消えてしまった。ここに映っている方の中にも亡くなった方もいるだろうし、他所に居を構えた方もいるだろう。まだ家が建つ気配がない今泉の町に果たして往事を取り戻すことが出来るのだろうか。楽しげであればあるほど失ったものの大きさを実感してしまう。

 

 行道の先頭を歩いた、頭くりくりの長女真子さんは、僧侶となるべくただいま大正大学に入学し、研修に修行にと励んでいる。ご両親の背中を見て決断したことであろう。

 

 彼女はこう言った。

 

「檀家の方で真子ちゃんが跡を取ってくれるからと言ってたくさん寄付してくれた人がいるんですよ。どうしたらその思いに答えることが出来るのでしょうか」と。

 

 初心忘るべからず。その思いを抱きながら日々重ねていけば、皆さんから慕われる立派な尼僧さんになること間違いなし。将来がとても楽しみだ。

 

 金剛寺も、震災前とはまったく同じではないけれど、檀信徒の方々、地元の方々の心のより所として、存在感をいや増し、ますます輝き続けるであろう。

 

 気仙の人々の心の拠り所として、輝きを増すようにこころから御祈念申し上げたい。